史実に残る『オクニョ』の登場人物たち!

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『オクニョ 運命の女(ひと)』には様々な登場人物がいたが、実在した人物と架空の人物に分けられる。それでは、実在の人物の本当の姿というのは、どういうものだったのだろうか。




実在した4人

『オクニョ』を演出したイ・ビョンフン監督は、韓国で「時代劇の巨匠」と呼ばれている。確かに、『宮廷女官 チャングムの誓い』『イ・サン』『トンイ』など代表作は大ヒットした。
この監督の特徴は、実在した人物に架空の人物をうまくからませて、物語を大きく展開させることだ。
また、ドラマが面白くなるためだったら、どんなストーリーも作ってしまう。
それゆえに、イ・ビョンフン監督の作品を実際の歴史のとおりだと思い込んではいけない。もちろん、現実にあった事件も多く取り入れられているが、全体的に見ればフィクションの割合が非常に高い。それがイ・ビョンフン監督の作品の特徴だ。
それでは、『オクニョ』はどうなのか。
このドラマの登場人物の中で、歴史的に実在した重要人物は4人いる。それは、文定(ムンジョン)王后、明宗(ミョンジョン)、尹元衡(ユン・ウォニョン)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)である。




この人たちは、実際はどういう人たちだったのだろうか。
『オクニョ』が描いている時代は1550年代である。
そのときにしぼって見ていこう。
当時は、13代王・明宗が国王の座に就いていた。非常に性格のいい人物として知られているが、彼は国王でありながら政治的な実権を持つことができなかった。そういう意味では、影の薄い王であったとも言える。なぜ、そうなってしまったのか。
それは、母親の文定王后が女帝として君臨していたからだ。
この文定王后は、明宗の父である11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃である。
中宗には二番目の王妃が産んだ世子(セジャ/王の後継者)がいて、そのまま12代王・仁宗(インジョン)として即位した。しかし、1545年に文定王后は仁宗を毒殺した疑いが強い。
自分がお腹を痛めて産んだ明宗を王にするためである。その際に、手先として動いたのが鄭蘭貞だった。




彼女は「朝鮮王朝三大悪女」の1人に数えられているが、あくまでも文定王后の手先として動いたのであり、巨悪はむしろ文定王后であった。
朝鮮王朝時代、幼い王を補佐するという名目で女帝のように振る舞った王妃が何人もいるが、その中でも一番悪政を行なって民衆を困らせたのが文定王后だ。
1550年代は飢饉が続いて餓死する人も多く出ていた。それなのに、文定王后は実権を持ちながら庶民を救済する対策を取らず、身内で高官を独占して政治を腐敗させた。そういう意味では、悪女中の悪女だったと言える。
この文定王后の弟が尹元衡だ。まったく能力のない男なのだが、姉が王妃ということで出世を果たし、悪政の実行役となった。
姉が姉なら弟も弟で、こういう人間に統治されたのだから、朝鮮王朝も1550年代は不幸であった。
この尹元衡の妾となっていたのが鄭蘭貞であり、2人は共謀して尹元衡の妻を殺した。そして、まんまと鄭蘭貞が妻になったのだ。
文定王后をトップにして、その下に就いたのが尹元衡と鄭蘭貞。この3人が悪事を働くのを明宗はただ見ているだけしかできなかった。




彼はどんなに心を痛めていたことだろうか。
こうした歴史を知ったうえで『オクニョ』を見ると、さらにドラマが面白くなるかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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