朝鮮王朝の歴史で注目したいのは、歴代王の即位に至る経緯である。なぜそこにこだわるかといえば、王権の安定に決定的に影響していたからだ。もっとわかりやすくいえば、「正室から生まれたのか、側室から生まれたのか」「長男なのか、二男以下なのか」「生母が生きているのかどうか」「信頼できる側近がいたのか」といった要素で、王の立場というものが大きく違うのである。
朝鮮王朝の「血の抗争」
王は祭り上げられているうちは強いが、引きずりおろされるときは弱いものだ。そういう人間くさい部分も、時代劇ではよく描かれている。
実際、誰もが納得する「王の長男」が次の王として即位している例が意外と少ない。本来は朝鮮王朝の王家には「王の後継者は正室が産んだ嫡男を第一候補にする」という原則があったのだが、その通りになった王は決して多くなかった。
何よりも、朝鮮王朝の王は絶大な権限をもつ唯一無二の存在だけに、そこに群がる親族や家臣が欲望をむきだしにして争い、王の後継者をめぐって血が流れたことが何度もあった。後継者選びも一筋縄にはいかないのだ。
確かに、朝鮮王朝は「血の抗争」によって始まっている。1392年に李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮王朝を建国して初代・太祖(テジョ)になったが、その後継者の座をめぐって彼の第一夫人の息子たちと第二夫人の息子たちが争い、1398年に第二夫人の息子二人は殺害されて第一夫人の息子たちが勝利した。そして、2代王・定宗(チョンジョン)と3代王・太宗(テジョン)になったのである。
始まりから物騒だった朝鮮王朝の後継者争い。王朝の歴史には、次のような騒動があった。
◆1455年に6代王・端宗(タンジョン)の叔父だった首陽大君(スヤンデグン)が脅す形で王位を強奪して7代王の世祖(セジョ)になった。
◆10代王・燕山君(ヨンサングン)が1506年にクーデターで追放され、異母弟が11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。
◆12代王・仁宗(インジョン)は継母によって毒殺された可能性が高く、その継母の息子が13代王・明宗(ミョンジョン)になった。
◆15代王・光海君(クァンヘグン)は14代王・宣祖(ソンジョ)の側室から生まれたが、王に即位すると宣祖の正妻が産んだ異母弟を殺害している。
◆15代王・光海君が1623年に王宮から追放されて16代王・仁祖(インジョ)が即位した。
◆仁祖の長男であった昭顕(ソヒョン)世子が1645年に急死。父の仁祖に毒殺された疑いが濃い。
◆20代王・景宗(キョンジョン)がわずか4年の在位で急死。異母弟の英祖(ヨンジョ)が毒殺したという噂が王宮を騒がせた。
◆21代王・英祖が1762年に息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させた。
◆22代王・正祖(チョンジョ)が1800年に急死。彼の祖父・英祖の継妃だった貞純(チョンスン)王后が毒殺したという疑惑が起こった。
こうした騒動は時代劇の恰好の題材になっている。時代劇があれほど面白いのも、朝鮮王朝の史実が波瀾万丈だったからだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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