ようやく見つけたのが青山島食堂だった。船着場の奥の海岸沿いにあった。一向に注文を取りに来ないので声をかけたら、「見たらわかります。1人前でしょ」と言い放った。メニューもなく、注文も勝手に決められてしまうらしい。
ようやく出航
黙って待っていたら、意表をつかれた。たった1人なのに、食卓には20品ものおかずが次々と並ぶ。端から順に言うと、生ニンニクの漬物、海苔、海草のあえもの、小さい唐辛子、キムチ、カクテキ、塩辛三皿、もやし、小魚、干し大根の漬物、ニンニクの芽、さつまあげ、ハムの炒め物、黒豆、そして、メインは太刀魚の塩焼き。これにご飯とみそ汁が付いた。
これは1人が食べる朝食の量ではない。食べても食べても皿が空にならない。となりの席を見たら、3人連れなのに食卓に並んだ料理は私の場合と同じだった。1人でも3人でも量を加減しないのが韓国流。その結果、1人での食事はいつも量で圧倒されてしまうのである。
申し訳ないと思ったが、半分以上残してしまった。ベルトを少しゆるめてから食堂を出た。
相変わらず霧が深い。時間つぶしに、船着場の真ん前の喫茶店に入った。30代半ばの女性主人と2人の男性客がにこやかに談笑していて、他に客はいなかった。
店内は異様に広い。そんなに客は入らないだろうと思われるのに、やたらとテーブルの数は多かった。仮に50人の団体客が出航を待つ間に大挙して押しかけたとしても、それでも十分に空席を見つけられるほどだった。
私を見かけると、30代の2人の男性客がそそくさと席を立った。地元の漁師のようで、もう十分に話は出尽くしたという顔で喫茶店を出て行った。
手が空いた女性主人はすぐに私のところにやってきて、メニューを差し出した。腹十二分目といった状態なので、消化促進を考えてゆず茶を注文する。彼女は、人懐っこい表情で私の話し相手になってくれた。
「青山島の人はいい人ばかり。暮らしも私に向いているわ。でも、シャワーだけでお風呂がないのがちょっと困るのよ。やっぱり、熱いお湯に入りたいじゃない。それで、ときどき莞島の銭湯へ行くの。ここでは銭湯も船で45分もかけていかなければならないから大変よ」
船に乗って銭湯に行くのは、アカスリができるからだろう。韓国の人は銭湯でアカスリをするのが大好きなのである。
「霧で船が出ないんでしょ。こんなに霧が出たのは久しぶりよ。早く船が出ればいいわね。ご覧のとおり、他に客はいないんだから、ゆっくりしていってよ」
広くてガランとした店内に女性主人の声だけが響いていた。
そのとき、長い汽笛が2度鳴るのが聞こえ、店を出てみたら霧が晴れていた。乗船券売場の窓口に行くと、「9時50分の便が出航します」と教えてくれた。
何気なく、待合室を見回して驚いた。例の夫婦は相変わらずスナック菓子を食べていたし、例の30代女性の2人連れは今もテレビドラマを見ていた。私が最初に見たときから3時間以上も経っているのに、飽きもせずに同じことをずっとやっていたのだろうか。これこそ、船の欠航を辛抱強く待つ秘訣かもしれない。まったく同じ構図に笑いがこみあげてきた。
その日最初の船は9時50分に出航した。
私は、デッキの一番後ろに立ちながら、小さくなっていく青山島をずっと見ていた。その名のとおり、青い山が美しい景観を作っている島である。しかし、いつまでその美しさを守っていられるのか。
私は大部屋に入って寝転がったが、船内はそれほど混み合っていなかった。始発が欠航になったのでもっと乗客が多いと予測したのだが、よくよく考えてみれば、この日は日曜日で通学の高校生たちもいなかった。それに、霧の状態を見て外出を早めにあきらめた島民も多かったかもしれない。
こうして印象深い青山島への旅は終わった。
文・写真=康 熙奉(カン・ヒボン)