『オクニョ』追憶の歴史解説6「悪人たちの朝鮮王朝」

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1392年から1910年まで518年間も続いた朝鮮王朝。この長寿王朝の歴史には、王宮を揺るがす数々の大事件が起こっていた。それが韓国時代劇の重要なネタになっているのだが、『オクニョ 運命の女(ひと)』でも歴史的な事件がドラマを彩っている。

画像=MBC




一族の利権に執着

『オクニョ 運命の女(ひと)』はイ・ビョンフン監督の作品だが、彼の代表作といえば、何と言っても『宮廷女官 チャングムの誓い』である。このドラマが描いた時代は、11代王・中宗(チュンジョン)が統治する16世紀前半だ。そして、『宮廷女官チャングムの誓い』では、中宗が世を去るところまで描かれていた。
その時代を引き継ぐような形で描かれているのが『オクニョ 運命の女(ひと)』である。ときは16世紀のなかばである。
当時は、果たしてどんな時代だったのか。
中宗の次に即位した12代王・仁宗(インジョン)は、わずか8カ月で急死してしまい、中宗の三番目の正室であった文定(ムンジョン)王后が産んだ明宗(ミョンジョン)が13代王として1545年に即位した。
明宗は11歳で即位したので、母親の文定王后が代理で政治を仕切った。幼い王が即位したときに、王族の最長老女性が摂政を行なうのは朝鮮王朝の通例でもあったのだ。




大問題なのは、文定王后が政治の主導者としてふさわしくない人物だったということである。
当時は、凶作が多くて庶民の暮らしは大変苦しかったのだが、文定王后はそういう民衆を助けることもなく、一族の利権に執着した。
いわば、庶民を見殺しにしたのである。
そんな悪政を行なった文定王后の弟が、尹元衡(ユン・ウォニョン)だ。彼は才能のある人物ではなかったが、姉が陰の女帝として君臨したおかげで、最終的には領議政(ヨンイジョン/総理大臣に該当)にまで大出世を果たす。
当時は、儒教理念に精通した清廉な官僚たちもいたのだが、尹元衡はあらゆる策略を用いてそういう官僚たちを追放した。そして、自分の意のままに政治を動かし、賄賂政治で私腹を肥やした。
その尹元衡の妾となっていたのが鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)だ。彼女は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられるように、数々の悪行を重ねていった。ついには、尹元衡の妻を毒殺して自分が後妻になった。




さらに、鄭蘭貞は文定王后の手先として、宮中で自ら手を汚して政敵をつぶしていった。まさに、悪の連鎖である。
明宗は優しい心を持った人物だったのだが、なにしろ母親が実権を持っていたので、自分では思いどおりに政治を動かすことができなかった。その点では苦悩が多い王であったのだ。
以上のように、文定王后を中心にして私利私欲に執着する悪人たちが朝鮮王朝を牛耳っていたのが、『オクニョ 運命の女(ひと)』が描いている時代なのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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