韓国社会のルールブック「第19回・歴史の教訓」

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派閥の力学

当時の朝鮮王朝は、政府高官の間で派閥争いが熾烈だった。
しかも、黄允吉と金誠一がそれぞれ所属していた派閥は対立していて、仲が険悪だった。さらに言うと、金誠一がいた派閥のほうが主流派だったのである。
最終的には、派閥の力学が影響した。政治的に主流派に属していた副使・金誠一の意見が通ってしまった。なんとも、驚くべき失態である。
結局、攻めてこないという金誠一の言葉を信じた朝鮮王朝は、国防の強化に乗り出さなった。
朝鮮王朝は建国から200年を迎え、太平の世を謳歌していた。ぬるま湯にひたるような政治的体質が、おろそかな国防体制を招いてしまった。
海の向こうで秀吉は、朝鮮出兵の準備を着々と進めた。
九州北部の唐津に名護屋城を建設。そこを拠点にして、1592年4月から朝鮮半島に攻め入った。




都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)が陥落したのは、攻められてわずか20日くらいであった。
その前に国王は北に向かって逃亡している。
そんな歴史の出来事を、李舜臣の像を見ていて思い出した。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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