韓国社会のルールブック「第19回・歴史の教訓」

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ソウルに行ったときは、光化門(クァンファムン)に近い旅館にいつも泊まっている。その旅館から街中に出るときには、李舜臣(イ・スンシン)の像の前を通る。その度に、ゆっくり像を仰ぐ。像の位置が高すぎて、すぐに首が痛くなるのだが……。

ソウルにある李舜臣の像




1590年に起きた話

李舜臣といえば、朝鮮出兵である。
彼は救国の英雄として朝鮮半島の歴史に燦然と輝いている。
しかし、李舜臣を讃えるだけでは歴史から教訓を得られない。私がいつも思い出すエピソードは韓国にとって苦いものなのだ。
それは、1590年の出来事である。
ほぼ天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、次に大陸に侵攻する意思を明確に持っていた。日本での不穏な動きを察知した朝鮮王朝は、秀吉の天下統一を祝賀するという名目で、偵察を目的とした使節を派遣した。
使節は日本に渡ったが、そのとき秀吉は小田原攻めの最中だった。使節一行は京都でしばらく待たされることになった。
待っている間に使節は、日本の国情をもっと冷静に調べ上げるべきだった。それなのに、ただ時を待っていたとしか思えない。




小田原攻めが終わった後に東北を回ってきた秀吉は、1590年の秋に京都に戻ってきた。ようやく朝鮮王朝の使節は秀吉と面会したが、外国の使節に対して秀吉の態度はかなり無礼だった。
(ページ2に続く)

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