朝鮮戦争はどんな戦争だったのか(現代史編)

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ようやく結ばれた休戦協定

1951年7月10日から休戦のための会談が始まったが、議題を決めることから意見が対立し、会談そのものが長期化することとなった。
1952年11月、アメリカの大統領選挙で朝鮮戦争終結を公約に掲げたアイゼンハワーが当選。一方、北朝鮮を武器で支援していたソ連のスターリンが1953年3月に病死した。
最高指導者の顔ぶれが変わる中で休戦会談が進行し、ついに1953年7月27日に休戦が合意に至った。
北緯38度線を軍事境界線とする休戦協定に調印したのは、国連軍を代表するアメリカ、北朝鮮、中国であった。韓国は調印しなかった。休戦の中身に不満があったからだ。しかし、協定の実施は拒まないという立場だった。
こうして、停戦でも終戦でもなく、一時的に戦いを休むことを意味する「休戦」のまま現在に至っている。




朝鮮戦争は、民族分断を決定づけた悲劇の内戦であったが、日本にとっては朝鮮特需を生み出した。アメリカ軍の要請による軍需物資の増産が日本の経済活動を潤した。
日本が望んだことではなかったが、朝鮮特需は日本の戦後復興を加速させる役割を果たしたのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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