朝鮮王朝三大悪女はどんな手段を使って地位を得たのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

一番の成り上がり者

張禧嬪(チャン・ヒビン)は、宮中で通訳をしていた官僚の親戚ということで女官となった。張緑水や鄭蘭貞と比べると、育ちは悪くない。しかし、周囲も驚くほどの美貌が、彼女をとてつもなく欲が深い女性にした。
張禧嬪はどれほどの美女だったのか。
朝鮮王朝の正史であった『朝鮮王朝実録』は女性の容姿についてはほとんど触れていないが、例外なのが張禧嬪だ。一度ならず何度も、張禧嬪の美貌について記している。それほど彼女の容姿は際立っていたのだ。
張禧嬪はその美貌によって19代王の粛宗(スクチョン)に見初められた。艶福家の粛宗のことだから、噂を聞いてすぐに張禧嬪を呼び入れたことだろう。
しかし、張禧嬪は粛宗が想像もできないほどの魔性を持っていた。
1688年に粛宗にとって初めての王子を産むと、彼女の上昇思考は天にものぼるほどであった。結局、粛宗は正室であった仁顕(イニョン)王后を離縁して張禧嬪を王妃に昇格させた。




ここまでは、絵に描いたようなサクセス・ストーリーだ。
しかし、粛宗の心変わりまでは張禧嬪も見通せなかった。結局は再び側室に降格になり、最後は死罪になってしまった。
ただし、息子は後に20代王・景宗(キョンジョン)として即位している。王の母になったという意味で、張禧嬪は三大悪女の中で一番の成り上がり者だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

朝鮮王朝の有名な悪女の最後はどれほど悲惨だったか

『オクニョ』の歴史解説!実在の登場人物は悪人ばかりだった

『オクニョ』で見苦しい悪女として登場する鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)!

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)!女帝の手先として暗躍した悪女

固定ページ:
1 2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る