トンイはなぜ王妃になれなかったのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

ドラマ『トンイ』の主人公トンイは、歴史的には淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)のことだ。彼女は1694年に19代王・粛宗(スクチョン)の側室として王子を産んでいる。それが後に21代王になる英祖(ヨンジョ)である。




不思議な王命

王子を産んだことによって淑嬪・崔氏の立場は強くなったが、我が子を世子にできるわけではなかった。なぜなら、世子は張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ長男に決まっていたからだ。
1701年、病弱だった仁顕(イニョン)王后が8月に亡くなった。
その40日後、淑嬪・崔氏は粛宗に対して驚くべき告発をした。「張禧嬪が仁顕王后を呪い殺す儀式をしていた」というものだった。
王宮の中が大騒ぎになった。張禧嬪は否定したが、結局は10月に死罪になってしまった。
一方、仁顕王后が亡くなって王妃の座が空いた。
誰もが予想した……粛宗に寵愛されている淑嬪・崔氏が側室から王妃に昇格するだろう、と。
他に候補者がいなかった。




ところが、粛宗が不思議な王命を発した。
「今後は、側室から王妃に昇格できないようにせよ」
これによって淑嬪・崔氏は王妃になれなくなった。
なぜ、粛宗はそんな王命を出したのか。
さらに彼は、新しく仁元(イヌォン)王后を王妃に迎える一方で、淑嬪・崔氏を王宮の外に出してしまった。それ以後、2人が会った形跡がない。
粛宗はなぜ淑嬪・崔氏を冷遇し始めたのか。彼女が、張禧嬪を陥れるために偽りの告発をしたことを察知したのか。
ドラマ『トンイ』では、淑嬪・崔氏は明るい性格を持った誠実な女性として描かれていた。しかし、現実の淑嬪・崔氏は底知れぬ裏がある女性だった。
それによって、粛宗に敬遠されるようになったのでは……。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

トンイ(淑嬪・崔氏)の人生がよくわかるエピソード集!

トンイの本当の「裏の顔」を暴いてみると?

「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠

『テバク』に出てくるトンイは悪女?

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る