2人の息子が早世
世宗時代からの忠臣の間では、端宗の復位を狙う動きが起こった。
しかし、世祖はこの動きを力づくで抑えつけた。その際には、むごたらしい血が数多く流された。
端宗が生きていては安心できない、と感じた世祖は、端宗を流刑にしたうえで死薬を与えて殺した。
端宗はまだ16歳だった。
聖君と崇められる世宗の二男が、これほどの非道を繰り返したのだ。
そんな世祖の治世は1468年まで13年間続いた。
彼は王朝の基本法典である「経国大典」の編纂に功績があり、王権の強化という面でも実力を発揮した。
しかし、晩年の世祖は苦しんだ。
長男が19歳で夭逝したことも世祖にとって痛手だった。ちなみに、世祖の後を継いで8代王になった二男も19歳の若さで亡くなっている。
重なった悲劇……世間は「因果応報」と噂した。
文=康 熙奉(カン ヒボン)