誰もと同じように、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)がその青年の存在を初めて知ったのは痛ましい事故を伝える新聞の報道によってであった。その青年……李秀賢(イ・スヒョン)さんは、2001年1月26日の夜、新大久保駅で線路に落ちた男性を救おうとして死亡した。
最高の人生を楽しみたい
私は新聞やテレビを通して李秀賢さんの遺影を何度か見た。
精悍で、意思の強さがうかがえ、目もとに優しさがあった。
しかも、悲しいほどに若かった。
「一体、どんな青年だったんだろう」
そう思っていたら、出版社から李秀賢さんの本を出したいという要請があった。私は韓国に行き、彼の母校を訪ね、両親や友人に会い、彼の育ってきた日々を振り返った。
李秀賢さんは1999年に自分のホームページで自己紹介をしている。
「趣味はマウンテンバイク、ギター、スキンダイビング、水泳、バスケットボール、テニスです。あと好きなのは、酒を飲むことや、運動して汗を流すこと、コンピュータ、何でも整理することなどです。僕の宝物は家族、恋人、友人、ギブソンのギター、ノートパソコンです。僕の別名はタフガイ。将来の夢は大統領になることでしたけど、最近はちょっと……」
「それより、最高の人生を楽しみながら生きていきたいですね。この『楽しく』というのは、いつも遊んでいたいという意味ではなく、仕事にしても勉強にしてもできるだけ自分がやりたいようにやるということ……いつか振り返ったときに、絶対に後悔したくないということなんです」
「生きていれば駄目なときもありますけど、そんなことで後ろに退きたくはないですからね。苦労や逆境も人生の一部分だし、いつでも受けて立つ準備ができていますし、突き進む勇気もあります」
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