韓国のビックリ/追記編28「済州島の海女」

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地方に住む人々の生活ぶりをよく取り上げるKBSのドキュメンタリー番組『人間劇場』を見ていたら、済州島(チェジュド)の海女(ヘニョ)がたくさん出てきた。みんな、とても元気が良かった。




屋台骨を支える仕事

私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)の母は、1918年に済州島の西帰浦(ソギポ)で生まれたのだが、10代のときに海女をしていた。
当時のことをこう話してくれたことがあった。
「海に出るときは、かんぴょうの中をくり抜いて乾かしたものを浮輪に使うの。潜っている間に浮輪が波間を漂ってしまうけど、水から上がると浮輪をたぐり寄せ、それにつかまってしばらく休む。海に浮かんでいるときは、ホント、気持ちがよかったよ。そして、何度か潜ったあとに海辺に上がり、焚き火に当たってからだを乾かす。落ちついたら、また海に入っていく。これを何度か繰り返すけど、潮が満ちてきたら終わり。その日に獲ったサザエやアワビを近くの加工工場に売りに行くのね。重さを量ってもらうと、その場で現金をくれる。これがうれしかった」
その日の現金を受け取れる海女という仕事は、済州島の中で数少ない「稼げる仕事」だったようだ。
命の危険をともなう仕事でもあるのだが……。
母が海女をしていたのは1930年代だが、現在でも西帰浦では海女をしている人たちがいる。
港の突端に行くと「海女の家」があって、採れたばかりのサザエやアワビを食べさせてくれる。




私も多くの人たちを誘って出掛けたが、韓国の本土から来た人たちは海女たちの会話を聞いても「まったく理解できない」とお手上げだった。
それほど方言が強いのである。
しかし、賑やかに笑いあっている海女たちを見ていると、言葉はわからなくても、たくましさが伝わってくる。
「夫に代わって私が家の屋台骨を支えている」
そんな気骨を感じる。実際、海女の仕事で子供たちを何人も留学させた、という話を何度も聞いた。済州島では海女の存在がキラリと光っている。
(ページ2に続く)

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