韓国はなぜ日本の植民地になったのか/一問一答編2

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大韓帝国

――朝鮮王朝はどのように対応したのでしょうか。
康熙奉「ロシアに接近していきました。とりわけ、閔氏(ミンシ)は日本に抵抗する姿勢を鮮明にしたのです。すると、日本は強硬手段に出ました。1895年10月に王宮に乱入した一派が閔氏を暗殺しました。王妃が外国勢力に惨殺されるという事件が起こったのです」
――閔氏が亡くなったあとの状況は?
康熙奉「朝鮮王朝に親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王朝はロシア寄りの政治姿勢を鮮明にしたのです」




――それにしても、朝鮮王朝の国王がロシアの外交施設にたてこもるとは……。
康熙奉「高宗がようやくロシア公使館から王宮に戻ったのは1年後でした。彼は1897年10月に国号を『大韓帝国』と改めて初代皇帝の座に就きました」
――それまでに朝鮮王朝に皇帝はいなかったのですか。
康熙奉「朝鮮王朝は中国に気兼ねして自ら皇帝と称することはせず、格が1つ下がる形の『王』を自称していました。しかし、日清戦争において日本が勝利したことで、清は朝鮮半島で影響力を失い、朝鮮王朝は独立の証として『帝国』を名乗るようになったのです」
(次回に続く)

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