日清戦争
――クーデターは成功したのですか。
康熙奉「朝鮮半島に大きな影響力を持つ清が黙っていませんでした。清が武力で開化派を排除し、王宮占拠も『三日天下』で終わってしまったのです。以後、日本と清は朝鮮半島の権益をめぐって激しく対立するようになります」
――まさに一触即発の状況になったわけですね。
康熙奉「1894年2月、東洋思想を信奉する多くの農民が政治への怒りを爆発させて全羅道(チョルラド/朝鮮半島西南部)で決起しました。これが『甲午(カボ)農民戦争』の始まりです(「東学党の乱」とも呼ばれます)。危機に瀕した朝鮮王朝は清の軍隊に頼ろうとしたのですが、すかさず日本も在留邦人の保護を名目に出兵しました。もはや日本と清の戦闘は避けられなくなり、1894年8月1日、日本は清に対して正式に宣戦を布告しました」
――朝鮮半島の権益をめぐって日本と清が戦争を始めたわけですか。
康熙奉「日清戦争を遂行する日本の目的は、朝鮮半島を保護国にすることでした。実際、清との戦争中に朝鮮半島は日本の占領下に置かれました。日清戦争を有利に進めた日本は、1895年4月に清との間で日清講和条約(下関条約)を結び、莫大な利権を手中に収めました。とりわけ大きかったのが、清の勢力を完全に朝鮮半島から追い出したことです。いよいよ日本の朝鮮半島支配に拍車がかかったのです」(ページ3に続く)