私たちにできること
強い意欲をもって日本語を学んでいた李秀賢さんだったが、「両国の交易に関する第一人者になりたい」という夢を実現することはできなかった。
母親の辛閠賛(シン・ユンチャン)さんは李秀賢さんが亡くなった1週間後に私にこう語った。
「私は息子にいつも言っていました。どこへ行っても必要な人間になるように……。困っている人がいれば助けてあげるように、と。そう言ってきました」
「私は秀賢を見ながらいつも夢を見ていたんです。秀賢は一体どんな人間になっていくのか。どんなすばらしいことをやってくれるのか。そのすべてのことを秀賢はたった1回でやりとげてしまったんです。自分の命と引き換えにして。何回生まれても普通の人間ができないことを、息子はたった1回の短い人生でやりとげたんです。でも、秀賢が長生きしてくれればどんなに良かったか……」
李秀賢さんが亡くなって17年。
私たちにできることは……。
決して彼を忘れないことだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)