日韓歴史探訪!高麗神社

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高麗家住宅

かくも長き継承

高麗神社の敷地の一番奥には高麗家住宅がある。
屋根は入母屋造りの茅葺きだ。
かなり手を加えられているだろうが、元は1596年の建築と伝えられる住宅で、宮司を務めてきた高麗氏の住居として使われたという。




その木造家屋を見ていると、この地に若光を祀る神社があり、その子孫の血が今に伝えられていることに素直に感心する。
かくも長き継承は奇跡に近いのではないか。
なお、高麗郡は明治初年の頃、今の日高市と鶴ヶ島市の全域と、飯能市、入間市、狭山市、川越市の一部にまたがる広い地域だった。
それが、1896年に入間郡と合併されて、その名が消えた。けれど、村の名前には残っていて、高麗村と高麗川村があったのだが、それも1955年に合併して日高町になった(1991年に市に移行)。
こうして地域名から「高麗」の名が消えたが、JRや西武線の駅名や高麗神社にしっかりと伝統的な名称が残っている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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