若光を祀る神社
移住は強行されたのだが、高句麗人たちはすでに、関東やその周辺で生活の基盤を作っていた。
中には不満をもらす人たちもいたはずだ。
様々な問題を抱えたうえでの移住だっただけに、各人の不満を抑える強力な指導者が必要となった。
そこで、初代の高麗郡長官に任命されたのが、滅亡した高句麗の王族の1人だった若光(じゃっこう)なのである。
それ以前に若光は大磯に住んでいて、相模国の開発を同志たちと一緒に成功させたばかりだった。
その実績を買われて、今度は高麗郡をまかされ、その指導者となった。
そして、高麗神社はその若光を祀る神社であり、宮司は若光の子孫が代々務めている。1300年の長きにわたり、祖先の血筋をじかに受け継いでいる子孫たちがいるということに率直に驚く。(ページ3に続く)