芸人は最下層の身分
高麗王朝時代とは違い、朝鮮王朝になってから、禁欲的な儒教の影響により華麗な芸能は禁じられるようになります。もちろん、儒教の祭礼や王宮の宴会などの公式行事でも音楽と舞は重要なものでしたが、それは高尚なものとして発展し、あくまでも儒教の哲学に基づいたものでした。
そうではない民間の芸能に対しは徹底的な差別が行なわれました。顕著な例だったのが、庶民の娯楽だった芸能に従事する人たちが最下層の賤民(チョンミン)にされていたことでした。
その結果、特定の地域に居住することができず、村から村へと放浪しながら、芸人たちは自らの芸を見せて糊口をしのいだのです。
一方、朝鮮王朝の後期になり、芸能の技術的な発展によって、大衆のための芸能は絶大な人気を得るようになります。
そうした芸能の中から、今も人気があるパンソリやタルチュム(仮面をかぶって踊る舞踊劇)などが伝統芸能として残っていきました。
それでも、芸人の地位が相変わらず賤民であったことには変わりがありません。とても理不尽なことでした。(ページ3に続く)