韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)

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創氏改名

大韓民国臨時政府は大衆の広範な支持を集めることができませんでした。内紛が多かったことも組織の拡大につながらず、日本の追及を受けて中国各地に拠点を移さざるをえませんでした。
大韓民国臨時政府とは別に、朝鮮半島北部ではパルチザン活動が局地的に行なわれていました。その中で指導的な立場になったのが金日成(キム・イルソン)でした。
一方、日中戦争が1937年7月に始まると、朝鮮半島は日本軍にとっても重要な拠点になりました。戦火が激しくなると、軍需に不可欠な鉱物資源の採掘が朝鮮半島の各地で行なわれました。




さらに、朝鮮半島の人々を皇民化する動きも加速します。
1939年12月、朝鮮総督府は「朝鮮民事令改正」を発令しました。これは、1940年8月10日を期限として、民衆に日本式の名前への改姓を強制するものでした。いわゆる「創氏改名」です。
朝鮮総督府は、路上や列車内で人々を尋問して創氏改名の実施状況を徹底的に調査しました。
従わない人には多くの罰則が設けられました。(ページ3に続く)

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