「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠

このエントリーをはてなブックマークに追加

張禧嬪が呪詛をする必要があったのか

2つ目の根拠。
粛宗の正室だった仁顕(イニョン)王后は、長い病気の末に1701年8月に亡くなっている。それから40日後に、トンイが粛宗に「張禧嬪が仁顕王后を呪い殺そうとしていた」という告発を行なっている。
ただ、非常に怪しいのは、仁顕王后が亡くなってから40日も経ってから告発したことである。トンイがその事実を知っていたのであれば、なぜ、もっと早く言わなかったのだろうか。




実際に、仁顕王后の屋敷の周りから、呪詛(じゅそ)に使ったと思われる呪いの品物が発見されている。しかし、それを張禧嬪が埋めたという証拠は1つもない。たとえば、トンイが自分で埋めて告発したとも言える。その準備のために40日もかかったのではないだろか。
このとき、粛宗の息子は、張禧嬪が産んだ世子(セジャ)とトンイが産んだ二男がいた。張禧嬪は、そのまま何もしなければ、自分の息子が王になれる。しかし、トンイの場合は二男であるため、張禧嬪の息子を排斥しなければ、自分の息子が王になれない。
しかも、すでに長い病床にあった仁顕王后はもう長くは生きられなかった。そんな王妃を、張禧嬪が危険を冒して呪詛する必要はまったくないのである。
むしろ、トンイのほうが張禧嬪を陥れる必要があり、それがこの告発だったのではないかという推理も成り立つ。(ページ3に続く)

朝鮮王朝三大悪女は誰なのか

朝鮮王朝三大悪女の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は救いようがない悪女!

「朝鮮王朝三大悪女」の中で誰が一番の悪女か?

「朝鮮王朝三大悪女」にはオモテとウラがある!

張禧嬪(チャン・ヒビン)!側室に転落した王妃

鄭蘭貞(チョンナンジョン)!「朝鮮王朝三大悪女」の悪行

ページ:
1

2

3

関連記事

  1. 光海君(クァンヘグン)はどんな国王だったのか

  2. 『麗<レイ>』でイ・ジュンギが演じた光宗はどんな王様?

  3. 李芳遠(イ・バンウォン)が即位して太宗(テジョン)になった!

  4. 張緑水(チャン・ノクス)の人生は何だったのか

  5. 太宗(李芳遠)はどんな国王だったのか

  6. イ・サン(正祖)が即位直後に一番やりたかったことは?

  7. 張禧嬪(チャン・ヒビン)の人生は何だったのか

  8. 世宗(セジョン)と正祖(チョンジョ)の実例!朝鮮王朝の王の食膳とは?

  9. 英祖(ヨンジョ)はどんな国王だったのか

PAGE TOP