なぜ朝鮮王朝が寄贈した鐘が今も東照宮にあるのか

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平成の大修復を終えて日光東照宮の陽明門が脚光を浴びている。連日、大勢の観光客が詰めかけて、絢爛豪華な装飾美を堪能しているのだ。その陽明門のすぐ下にある鐘は、実は朝鮮王朝から寄贈されたものである。

朝鮮王朝が徳川幕府に贈った鐘が東照宮に現存している

朝鮮王朝が徳川幕府に贈った鐘が東照宮に現存している

全12回のうちの3回

江戸時代、朝鮮王朝が日本に派遣した朝鮮通信使は、徳川幕府で新しい将軍が就任したときにその祝賀を目的に来日することが多かった。それだけに、徳川幕府は最高の格式で彼らを迎えた。




朝鮮通信使の一行は毎回、正使、副使、従事官を頂点とする400人から500人の規模だった。随員として儒者、知識人、芸術家、医師なども同行し、江戸に至る道中で盛んに地元の人たちと文化的な交わりをもった。いわば、朝鮮通信使は外交使節であると同時に、文化交流使節でもあったのだ。
通常であれば、朝鮮通信使は江戸城で国書の交換を行なったのちに帰路につくのだが、全12回のうちで3回だけ、江戸での公式日程を終えたあとに日光の東照宮を訪れている。それは、徳川幕府側の強い要請があったからだ。
そこには、朝鮮通信使の来日を徳川幕府の正統性を世に知らしめる好機にしたいという思惑もあった。(ページ2に続く)

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