儒教は歴史的に日韓でどう浸透したのか

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両国における科挙の有無

朝鮮半島ではどうだったのか。
1392年に建国した朝鮮王朝。この王朝における儒教は、当初は高麗王朝を否定する手段としての色彩が濃いものであった。高麗の後期から知識人の間に徐々に浸透していった儒教は、高麗に取って代わった朝鮮王朝の新しい国学となり、仏教寺院に支配されていた土地や奴婢を没収する際の手段に使われた。同時に、儒教の形式的な儀礼は新興貴族の特権を確保していくうえで最適だった。
結局、徳川幕府も朝鮮王朝も自らの政権維持に儒教を利用したが、両者で決定的に違ったのは「科挙」の有無である。




朝鮮王朝が官吏登用の手段として、朝鮮王朝以前から制度としてあった科挙をさらに強化したのに対し、徳川幕府は科挙とはまったく無縁だった。
そもそも、儒教の本家である中国では、天子の地位だけを例外として、その他の階級が世襲によって固定することを認めていない。
道徳と知識を備えた賢人が官吏として社会を動かすべきだという思想が強くあり、その賢人の有効な選抜機関として科挙を位置づけていた。それはそのまま朝鮮半島でも踏襲されている。(ページ3に続く)

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