清の大軍に攻められた
一緒にクーデターを成功させた同志が反乱を起こし、一時的に仁祖は都から避難するという苦難を味わった。
その乱はなんとか収束させたのだが、1627年には北方の異民族の後金に攻められてしまった。
朝鮮王朝は武力で後金に対抗することができず、仁祖は都の漢陽(ハニャン)を捨てて江華島(カンファド)に避難した。そのうえで、講和会議を重ねて後金の怒りを解こうとした。条件は後金を支持することだった。
当時、後金は中国大陸を支配する明と激しく争っており、本来は朝鮮王朝も明を宗主国のように崇めていたのだが、その方針を変更せざるをえなくなった。それを条件に、後金は大軍を引き揚げた。
しかし、仁祖は後金と交わした講和条件を守らなかった。
怒った後金は国号を清と変えた後、1636年12月に12万の大軍で再び攻めてきた。またもや仁祖は江華島に逃げようとしたが、すでに清の大軍が迫ってきており、漢陽の南側にある南漢(ナマン)山城に避難するのが精一杯だった。(ページ4に続く)
貞明(チョンミョン)公主の生涯1!『華政』(ファジョン)の主人公
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