育てた子供は7男1女
仁祖の即位に貢献した功臣たちによって弁護され、貞明公主は処罰をまぬがれることができた。
しかし、手のひらをひるがえした仁祖に対しては不信感が募った。光海君の統治時代ほどではないが、仁穆王后にとっては、針のむしろに座らされているような日々が続いたのである。
偏屈な仁祖は1649年に世を去り、それ以後の貞明公主は平穏な日々を過ごした。歴代の王が丁重に応対してくれたおかげで、王族の長老女性として自尊心を保って暮らすことができた。
夫の洪柱元(ホン・ジュウォン)との間では、7男1女を育てた。息子たちはそれなりに出世して家門を高めた。
1672年に洪柱元は66歳で亡くなったが、その後も貞明公主は夫を供養しながら穏やかな日々を過ごした。(ページ3に続く)
歴史解説!仁祖(インジョ)と貞明(チョンミョン)公主の確執
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