世子の候補は2人
正室から生まれた子供がいなかったので、宣祖は側室が産んだ王子の中から世子(セジャ/王の正式な後継者)を選ばなくてはならなくなった。
候補は2人。長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)だった。この兄弟は宣祖が寵愛した側室の恭嬪(コンビン)・金(キム)氏から生まれていた。
年長の王子を候補筆頭にする原則からすれば、臨海君こそが世子にふさわしかったが、彼は豊臣軍による朝鮮出兵の際に加藤清正の軍に捕虜となり、釈放された後も屈辱から立ち直れず、酒に溺れてしまった。
評判が悪くなる一方の臨海君と比べて、光海君は朝鮮出兵の際に功績をあげ、能力的にも評価が高かった。
正室から王子が生まれない中で、世子の座は光海君にほぼ決まりかけていた。しかし、その後に状況が一転する事態となった。
懿仁王后が1600年に世を去り、宣祖は仁穆(インモク)王后を継妃に迎えたのだが、その仁穆王后が1603年に懐妊したのである。もし男子が生まれれば、宣祖にとって待望の嫡男であった。(ページ3に続く)
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