『華政(ファジョン)』に登場!光海君(クァンヘグン)の実像〔第2回〕

このエントリーをはてなブックマークに追加

王宮の復興に尽力

光海君が1608年に即位したときは、豊臣軍による朝鮮出兵からわずか10年で、国土がまだ荒廃しており、王宮のほとんどが焼失していました。戦乱の後遺症があまりに大きかったのです。




王宮がないと朝廷として行政ができませんので、光海君は王宮の復興に力を入れます。また、朝鮮通信使を派遣しながら徳川幕府との関係を強化して、東の隣国に対する憂いをなくしました。さらに光海君が力を入れたのが、北方の異民族国家である後金との外交関係でした。
後金は、今でいう中国の東北部、かつての旧満州から興った国です。17世紀の初めは明が中国大陸を支配していましたが、かなり斜陽になっており、日の出の勢いの後金と激しく争うようになります。

(第3回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=電子書籍版『康熙奉講演録/朝鮮王朝で一番知りたい話』

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(15代王・光海君編)

光海君(クァンヘグン)!再評価される暴君

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(金介屎〔キム・ゲシ〕編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(仁穆〔インモク〕王后編)

固定ページ:
1 2 3

4

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る