安東金氏一族の台頭
1800年、名君として数々の業績を残した22代王・正祖(チョンジョ)が病に倒れた。彼の死を看取ったのは、政治的に敵対していた祖母の貞純(チョンスン)王后だけだった。貞純王后は正祖の死後、まだ10歳の世子を23代王・純祖として即位させると、成人していない王の代理として代わりに政治を行なった。(詳しくは「朝鮮王朝おもしろ人物列伝」へ)
政治を私物化してやりたい放題に振る舞う貞純王后だが、純祖が14歳になると代理政治から手を退いた。貞純王后の代理政治が終わったことで、誰もが内政の安定を予感する。しかし、純祖の正妻である純元(スヌォン)王后が、父である金祖淳(キム・ジョスン)を王の補佐役に推薦することで状況は急変していく。
金祖淳は自らの出身一族である安東金氏(アンドンキムシ)を政治の要職に就けながら敵対勢力を排除していき、一族による権力の独占を図った。安東金氏は法律や制度も自由に書き換えていき、朝鮮王朝は安東金氏に服従しなければ出世できない時代となった。
いつしか、王以上の権力を握り始めた安東金氏に脅威を感じた純祖は、1つの対抗手段を講じた。それが、息子である孝明世子の妻に、名門一族である豊壌趙氏(プンヤンチョシ)の娘を迎えるというものだった。
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