奸臣が辿る哀れな末路
朝鮮王朝の敗北で終わった清との戦い。当然、朝廷ではキム・ジャジョムを弾劾する声が多くあがり、彼は再び流刑地に送られた。しかし、仁祖はわずか1年で戦犯であるはずのキム・ジャジョムの罪を許すと、復職させてしまう。
これは、王朝内で大きくなる反清派の動きを御するために、親清派のキム・ジャジョムを求めたからとも推測されている。
復職してからのキム・ジャジョムは、仁祖のご機嫌取りに尽力して絶大な権力を手にする。キム・ジャジョムが非難される理由の1つが、ソヒョン世子の病死後の対応だ。
キム・ジャジョムはソヒョン世子の葬儀を簡易に終わらせることに賛同する。さらに、次の王位継承者をソヒョン世子の息子ではなく仁祖の二男・鳳林(ポンリム)にするという、多くの臣下から反対意見が出た仁祖の決断を絶賛した。
こうして、味方の少なかった仁祖は、自身を盛りたてるキム・ジャジョムをより重用するようになった。しかし、キム・ジャジョムの権力は、仁祖あってのものだった。
1649年6月17日、仁祖が亡くなり鳳林が17代王・孝宗(ヒョジョン)として即位。キム・ジャジョムは、その6日後に官職を剥奪された上で再び流刑地に送られるが、彼は権力の座を諦めなかった。
キム・ジャジョムは清の国力を利用して権力を取り戻そうと画策する。そして、孝宗が清打倒を計画していることを密告した。これに対して、清は国境に大軍を配置するなど、朝鮮王朝に対して圧迫外交を加えていく。
しかし、キム・ジャジョムの言動はすべてがバレていた。こうして、キム・ジャジョムは息子共々、反逆罪で処刑されてしまう。己の栄華のために、国を犠牲にした奸臣の最期はあっけない幕切れだった。
ちなみに、キム・ジャジョムの最期は野史によれば、遺体をバラバラにされた上で、朝鮮王朝の各所にばら撒かれたと記されている。これが事実か確認することはできないが、それだけキム・ジャジョムが多くの人の恨みを買っていたことだけは間違いない。
『三銃士』は清との戦いが激化する時代を描いているが、稀代の奸臣キム・ジャジョムがどう動くのか。その行動に注意したい。
文=「ロコレ」編集部