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康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人14」

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誕生寺の本堂

日延の父は臨海君

総門の先には仁王門があったが、それをくぐる前に誕生寺の縁起を書いた案内板を読んだ。そこに書かれてあったのは、「日蓮が1222年に小湊で生まれたこと」「誕生寺は1276年に開かれたが、日蓮を開山としていること」などである。

つまり、日蓮が誕生した地に創建されたのが誕生寺というわけだ。案内板の前で、一人で頷いていた。

ただし、私がここを訪ねたのは、日蓮にゆかりのあるものを見るためではない。この寺の18世の貫主を務めた日延について調べるのが目的だった。

日延は朝鮮半島の出身である。しかも、朝鮮王朝14代王の宣祖(ソンジョ)の孫で、父は宣祖の長男であった。




つまり、血筋のうえでは、朝鮮国王の座に就ける可能性がある人だった。そうした人物が、なにゆえに日本で日蓮宗の僧侶になったのであろうか。

そこには、16世紀末の文禄・慶長の役が関係している。

1592年4月13日に豊臣軍が朝鮮半島に攻め入った。平和が長く続いた朝鮮王朝では、国防の意識が疎かになっており、豊臣軍の攻めに退却を余儀なくされた。早くも、5月2日には首都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)が陥落した。

国王であった宣祖は北に逃れ、最後は最北の義州(ウィジュ)にまで避難せざるを得なかった。こうした混乱のなかで豊臣軍の捕虜になったのが、宣祖の長男であった臨海君(イメグン)である。(ページ3に続く)

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