夏こそ行きたい!韓国南部の旅8

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全羅道の人たち

「この商売で娘をアメリカにまで留学させたよ」

そう誇らしげに語っていた釜山(プサン)の屋台のアジュンマを思い出す。あるいは、ソウルの東大門(トンデムン)でなじみにしていた屋台のアジュンマも懐かしい。彼女は、一生懸命に料理を作っていても、通りで足を止める人がいたら、飛んで行って体中から「いらっしゃいムード」を出して呼びこんでいた。あの熱心さをいつも見習いたいと思っていた。

そして、この屋台のアジュンマ。立ち食い専門で酒を出すわけでもないが、焼き鳥、おでん、トッポッキを用意して、客を明るくもてなしていた。

おかしかったのは、隣の屋台。日本風のたこ焼き屋だが、ちょうちんにはなぜか「うどん」の文字。韓国の人は読めないと思っているのか、あるいは屋台の主人が細かいことに気を使わない性格なのか。多分、その両方だろう。

その後、コンビニへ寄ってビールとつまみを買ったら、レジにいた20歳前後の女性が話しかけてきた。




「日本にぜひ行ってみたい」

そう何度も言っていた。

もともと、全羅道(チョルラド)には人なつっこい人が多い。穀倉地帯で食が豊かだったので、性格的に穏やかになったのでは……。一方、慶尚道(キョンサンド)は山が多くて、食べるのに苦労してきた。それだけ、切羽詰まった生活を強いられ、気性が激しい人が多い。全羅道と慶尚道にはそんな違いがある。

ただ、朴正熙(パク・チョンヒ)政権になってから慶尚道にはさまざまな投資が行われ、経済的に発展した。それに比べて全羅道は放っておかれた。韓国の経済成長の中で、地域的に全羅道と慶尚道の格差が大きくなり、全羅道の人たちは生きる望みを持って次々とソウルに移った。

苦しい状況に置かれてのんびりしてはいられなくなったが、それでもやはり全羅道の人は何千年も脈々と受け継いできた、ゆったりとした落ち着きを持っている。だからこそ、旅行していても気分がいいのである。

(終わり)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

出典=「韓国のそこに行きたい」(著者/康熙奉 発行/TOKIMEKIパブリッシング)

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