康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人1」

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第1回/浅川伯教・巧(前編)

日本の統治下にあった朝鮮半島で、陶磁器の研究や林業の発展に貢献したのが、山梨県出身の浅川兄弟だった。兄が伯教(のりたか)で、弟が巧(たくみ)。この兄弟の足跡を追ってみよう。

肖像写真の右が兄の伯教、左が巧

肖像写真の右が兄の伯教、左が巧

浅川家の墓

東京から中央本線に乗って甲府を過ぎ、やがて長坂駅に着いた。この駅で降りたのは、浅川伯教と巧という兄弟の資料館を訪ねるためである。

タクシーに乗って行き先を告げると、「資料館に行く前に、通り道だから浅川家の墓を見て行ったらどうか」と運転手さんから勧められた。喜んで誘いに応じた。

「韮崎から長坂までは鉄道もかなりの上り坂で、昔はスイッチバックで上っていったものですよ」




年配の運転手さんはそう言っていた。浅川兄弟の故郷である高根町は標高が700メートル以上だという。高原と言ってもいいほどだ。

車で10分ほど走ると祥雲寺という寺があり、その裏に空き地が広がっていて、そこに「浅川兄弟の生誕の地」と書かれた柱が立っていた。そして、その横に浅川家の墓所があった。

一応は見てまわったが、資料館で浅川兄弟の足跡を調べる前に寄ったので、どうも実感が沸かない。しばらく空き地に立って八ヶ岳の方向を眺めてから資料館に向かった。(ページ2に続く)

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