アメリカの説得
全斗煥の苛立ちもつのる一方だった。6月19日の朝、激しい反政府運動に業を煮やし、軍を出動させる腹を固めた。
「政党を解散させ、デモに参加している学生を逮捕し、政治犯は残らず軍事法廷に引っ張りだす」
全斗煥は国防相や軍首脳を集めて、翌日の早朝にデモ鎮圧の軍を出動させる意向を明らかにした。その最終決断を同日(19日)の午後5時にする予定だった。その直前に持ち込まれたのが、アメリカのレーガン大統領の親書だった。
「反政府運動に対して過剰な対応をしないように自制を求めると同時に、問題解決のために野党勢力と対話を進めてほしい」
そういう忠告だった。
アメリカは全斗煥を刺激しないために、レーガンが友人に手紙を書くという形でゆるやかに説得しようとした。親書では、一応は平和的政権委譲を進めようとしている全斗煥の政治姿勢を称賛し、その立場を最後まで支持することを書き添えた。ただし、穏やかな表現が綴られていたとはいえ、全斗煥が強硬手段を取ればアメリカも断固たる措置を取るという決意も言外ににじませていた。
しかし、この時点ですでに全斗煥は軍の介入を決意していた。アメリカのリリー大使はそのことを察し、誠意を込めて全斗煥を説得した。
自制を求めるレーガン親書を渡し、さらに軍を介入させれば米韓の同盟関係に決定的な亀裂が生じることを警告したのである。(ページ5に続く)