反政府運動が激化
1987年4月、全斗煥は突然の声明を発表して、翌年9月のソウル五輪までの憲法改正論議を禁止した。
そのうえで、年末に行われる予定の大統領選挙を国民が自ら選ぶ直接制ではなく、5000人の選挙人による間接制で実施することを発表した。これでは、全斗煥の意をくんだ候補者が次期大統領に選出される状況となってしまう。
国民の大反対にもかかわらず、大統領間接選挙を強行しようとした与党の民正党(民主正義党)は、6月2日に青瓦台(大統領官邸)で要職者会議を開き、党代表委員の盧泰愚(ノ・テウ)を次期大統領候補に推挙した。
盧泰愚は、全斗煥と陸軍士官学校11期の同期生である。彼は全斗煥政権を支えるナンバー2であり、6月10日に党大会で正式に次期大統領候補に選出されると、第一野党の民主党(統一民主党)が激しく反発。党総裁の金泳三(キム・ヨンサム)は、現行憲法で大統領間接選挙を行なうならばボイコットすることを表明した。
一方、在野勢力の反政府運動は激化するばかりだった。警察は約5万8000人の戦闘警察(機動隊)を動員して、野党の中心的人物(約700人)を自宅軟禁にする強硬策に出た。拘束された人物の中には、民主化推進協議会共同議長の金大中(キム・デジュン)も含まれていた。
この過剰な取り締まりに反発した学生たちは、全国の主要都市で戦闘警察と衝突。市民を巻き込んだ抵抗運動はついに最大規模となった。(ページ3に続く)