悪化する病状
旧暦の6月下旬というと、今の暦なら7月下旬か8月上旬です。都は猛暑で湿気も多かったはずです。そんな気候が正祖をさらに苦しめていました。
さすがに彼も耐えられなくなったのでしょう。ようやく侍医たちに腫れ物の患部を見せるようになりました。そのときでも、絶対に信頼できる人を同席させていました。
6月27日、高官の李時秀が病床の正祖に尋ねました。
「昨日の夕方は意識が朦朧(もうろう)とされたようですが、今も同じでしょうか」
すると、正祖は「こまごまと話すのが難しいようだ」と小さく言いました。侍医が脈を取ると、明らかに脈が弱くなっていたのです。
そのうち、正祖は自ら李時秀に指示を出しました。
「これからは病状にすぐ効く薬を使ったほうがいい。食欲が、ますますなくなっているから……」
この言葉を受けて新しい煎じ薬が用意されたのですが、すでに病状は深刻さを増していました。
6月28日になると、正祖は人参茶を少し飲みましたが、顔色が極端に悪くなっていました。
たまらずに李時秀が進言しました。
「優秀な医官を呼びましたので、脈をお取りになりますか」
すると、正祖はかぼそい声で嘆きました。
「今、病気についてすべて知っている者がどこにいるというのか」
すでに正祖は何も信じられない気持ちになっていました。それでも、側近たちの懇願で診察を受けて薬を処方されたのですが、病状は重くなるばかりで、その日のうちに意識を失ってしまいました。
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