なんでも功罪がある
韓国では、インターネット上で楽しむオンラインゲームが非常に盛んで、小学生から大人まで夢中になった。没頭しすぎてマニアが心臓マヒで急死する事件まで起きて、あまりの加熱ぶりが社会問題になるほどだった。
オンラインゲームならネット上で大勢の見知らぬ人と同じゲームを競い合うことができる。コンピュータを相手にするようなゲームだとある程度反応が予測できるが、生身の人間が相手なので壮絶な心理戦にもちこまれることが多い。
そういう意味でオンラインゲームは、1人で何かをすることを嫌って大勢でワイワイ楽しむことが大好きな韓国人の性格にもよく合っていた。
こうしたオンラインゲームの広がりの中で、PCバン(インターネットカフェ)を利用する人も圧倒的な数にのぼった。「PCバンのようなものがこれほどある国は世界でも韓国しかない」と大手通信社が世界に打電するほどの乱立ぶりだった。
かくして韓国はインターネットが社会を動かす国になった。
しかし、別な危惧が生まれている。インターネットによって、『数こそ社会正義』という論理がまかり通れば、多様な価値観を認め合う風潮は生まれてこない。
むしろ自分と違う価値観を数の論理で圧倒するという集団ヒステリーが起こらないともかぎらないのだ。
特に韓国社会は、地域対立・職業対立・学歴対立といったように、さまざまな対立軸によって成り立っている傾向が強いが、その中に今度はインターネットを活用できる世代とそうでない世代による情報対立が生まれてきた。
なんでも功罪がある。インターネットも、しかりである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)