兵役による軍務中に30歳を迎えたユンホ。30歳といえば、男の人生の中でも重要な節目だ。そのときに、彼の胸に去来しているものは何か。この30年間に韓国社会は激変しており、その波に影響されながら彼は自らの個性を育ててきた。ここで改めて、ユンホが生きた30年間を韓国社会の変化とともに振り返ってみよう。
民主化の申し子
ユンホが生まれた1986年当時、韓国はまだ軍事政権が続いていた。言論・表現の自由が制限される中で、民主化を求める運動は激しさを増していた。4月にはソウル大学の学生2人が民主化を要求して焼身自殺する事件が起きている。
一方の日本では、バブル景気が始まった頃である。好景気に沸き始め、日本は異様なほどの消費社会に突入していく。玄界灘をはさんで、日韓の世相はあまりに対照的だった。そんな時期にユンホは韓国で生を受けたのである。
ユンホが1歳のときに、韓国は社会が引っ繰り返るほどに激変した。悪い意味ではない。韓国現代史の金字塔とも言える変化だった。
それは、民主化の達成だ。
全土を揺るがす民主化運動を力で押さえつけることができず、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は、国民の要求を呑む形で「言論・表現の自由」「直接選挙による大統領選出」などを決めた。
まさに「市民革命」と呼べるほどの変化だった。ユンホが1歳のときの出来事で、以後、彼は「民主化の申し子」として自由な風を感じて成長していく。
ただし、11歳のときに起きた「経済危機」には子供ながらにハラハラしただろう。(ページ2に続く)