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タグ:韓国史
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『イ・サン』が描いた英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲劇とは?
1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。 王宮の一角に… -
韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)
1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激… -
韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)
1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようにな… -
韓国はなぜ日本の植民地になったのか(後編)
閔氏(ミンシ)亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王… -
韓国はなぜ日本の植民地になったのか(中編)
日本の朝鮮半島への介入において、先兵のように動いたのが軍艦の雲揚号でした。この雲揚号が1875年9月に、朝鮮王朝の国防の拠点とも言える江華島(カンファド)の沖で挑発的な行動を取りました。朝鮮王朝側も応… -
韓国はなぜ日本の植民地になったのか(前編)
朝鮮王朝は1392年に建国されてから518年間続きましたが、1910年に滅亡しています。それは、朝鮮半島が日本の植民地になったからです。そこに至るまでには、どういう経緯があったのでしょうか。3回にわた… -
晩年に悲劇続きだった世祖(セジョ)は因果応報だったのか
朝鮮王朝最高の聖君と言われた4代王・世宗(セジョン)の二男に生まれた世祖(セジョ)。彼は7代王になる過程で、甥から王位を奪って死罪にして、弟も殺している。非道な世祖は晩年に次々と悲劇に見舞われたのだが… -
世祖(セジョ)はなぜ朝鮮王朝でも評判が悪いのか
世祖は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪って1455年に7代王となった。彼の祖父である3代王・太宗(テジョン)も異母兄弟と骨肉の争いを起こして王になっている。しかし、建国当時と違って、すでに儒教の倫理… -
朝鮮王朝おもしろ人物列伝(金宗瑞〔キム・ジョンソ〕編)
第42回 “虎”と称されるほど勇猛だった男 金宗瑞(キム・ジョンソ)といえば、首陽(スヤン)大君が6代王・端宗(タンジョン)に圧力をかけていたとき、その端宗を守り抜こうとした男だった。今でも「忠臣の鑑(かがみ)」と… -
朝鮮王朝おもしろ人物列伝(恵慶宮〔ヘギョングン〕編)
第41回 イ・サンの母であった恵慶宮 21代王・英祖(ヨンジョ)の長男は孝章(ヒョジャン)という人だが、9歳で病死してしまった。そこで二男の荘献(チャンホン)が世子となった。彼は頭脳明晰だった。英祖は10代半ばの荘…