思悼世子(サドセジャ)をめぐって朝鮮王朝が大混乱に陥ったのは、1762年5月22日のことだった。世子が住む東宮(トングン)で働く羅景彦(ナ・ギョンオン)という者が、「世子が内侍(ネシ/王宮に仕える宦官)たちと組んで謀反をたくらんでいます」と訴え出てきたのである。
10項目の問題行動
謀反というだけで王朝の一大事なのに、その首謀者が世子の思悼世子だという。政権の中枢にいる高官たちの驚きは尋常ではなかった。
それは、報告を受けた英祖(ヨンジョ)も同様だった。彼はすぐに王宮のすべての門を閉じるように命じ、緊急事態を発令した。
政権の重臣たちが集まり王に謁見した。彼らの前に、告発者の羅景彦が引っ張りだされてきた。
それは羅景彦も望むところだった。彼はもったいぶりながら、懐から一つの書状を取り出した。そこには思悼世子の問題行動(非行、殺人、浪費など)が10項目にわたって書かれてあった。
それが果たして事実なのかどうか。英祖は信じられない思いだったが、とにかく思悼世子の弁明を聞いてみたいと思った。
英祖は、重臣たちに対して詳細に調査せよと命じた。
そのとき、領議政(ヨンイジョン/総理大臣)の洪鳳漢(ホン・ボンハン)がこう言った。
「東宮におかれましては、普段から怖がってオドオドする癖がありますので、こんな告発を聞いたら、とうてい平常心を保てないでしょう。できるだけ静かに行ないたいと思います」
英祖もこの意見に同調した。
洪鳳漢はすみやかに思悼世子のもとに出向いた。
彼は思悼世子の岳父である。自分の娘が思悼世子の正妻なのだ。それだけに、洪鳳漢が思悼世子の肩を持つのが当然と思えるのだが、事実はちょっと違っている。老論派に属する彼にはさまざまな思惑があったのである……。
それはともかく、洪鳳漢から“反乱の首謀者として告発されている”ことを聞いた思悼世子は驚愕し、あわてて英祖のもとにやってきた。それが亥(い)の刻(午後9時頃から11時頃の間)だった。
思悼世子が英祖に謁見する前に、洪鳳漢が英祖にこう上奏した。
「東宮を罪人のようにみなしては決していけません。なにとぞ穏やかに……」
英祖はゆっくりとうなずいた。
思悼世子が王の寝殿に入ってきて前庭で平伏した。しかし、英祖はあえて戸を閉めて、しばらく思悼世子に会わなかった。英祖も怒りを必死に静めようとしていたのだ。しかし、感情を抑えることはできなかった。
英祖は思悼世子を叱りつけるようにどなった。
「お前は本当に、王の孫の母(思悼世子の子供を産んだ側室をさしている)を殺したり、宮中を抜け出して遊び歩いたりしているのか。世子なのに、どうしてそんなことができるのか」
思悼世子はただ地面に伏してうなだれているしかなかった。
英祖の怒気を含んだ言葉が続く。
「側近の者たちが余に何も知らせなかったが、もし羅景彦がいなかったら、余がどうやってそれを知ることができたのか。王の孫の母は余も大変気に入っていたのに、どうして殺したりしたのか。こんなことをしていて、国が滅びないとでも言えるのか」
英祖の叱責を受けて、思悼世子はこう願い出た。
「どうか、羅景彦に会わせてください。彼に問いただしてみたいのです」
しかし、英祖はピシャリと言い切った。
「そんな必要はない。代理の者たちがすでに問いただしている」
すでに思悼世子は涙声になっいる。彼は必死に声をしぼりだした。
「私にはかんしゃく持ちという持病がありまして……」
その言葉を英祖はあっさりと突き放した。
「もう、よい。すぐにここを立ち去れ!」
きつく言われた思悼世子は仕方なく寝殿の外に出て、むしろを敷いてその上に平伏して待機した。まさに懲罰を受ける罪人の心境だった。
英祖のもとに洪鳳漢が近づき進言した。
「殿下に忠誠を誓う者は東宮にもそうすべきです。羅景彦の不忠は今や論ずる必要もないほどです。倫理を正さなければなりません」
洪鳳漢は、思悼世子に仕えながら主人を告発した羅景彦を厳罰に処する考えをはっきり表明した。
しかし、英祖は洪鳳漢の言葉に怒り、彼を罷免しようとした。他の重臣が取りなして英祖もなんとか機嫌をなおしたが、羅景彦を処罰しようという気はなかった。むしろ、“世子の悪行をよくぞ教えてくれた”という心境だった。
(第3回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)