8月21日の午後に漂着地の大静を出発し、翌日の正午に済州府の役所に到着。ここでハメルたちは牧使(提督)であった李元鎮(イ・ウォンジン)から取り調べを受けた。この李元鎮は官僚であると同時に優れた知識人であり、済州島の地誌として名高い『耽羅志』を著してこの島の教化に大きな貢献をしている。
異国の漂着者
李元鎮は人格も第一級で、招かれざる客ではあったが礼節をもって異国の民を迎えた。相変わらず言葉がわからなかったが、日本語ができる者を通じて済州府側はハメルたち一行が長崎に向かおうとしていたことを知った。
李元鎮はソウルの中央政府に対し、漂着民の処遇を問い合わせた。そこで、中央政府は朴延(パク・ヨン)という者を済州島に派遣してきた。この朴延もその27年前に朝鮮半島に漂着したオランダ人だった。
彼自身は日本へ行くことを希望したが、キリスト教徒であるという理由で日本側が引き取りを拒否したために、やむなく朝鮮半島に留まり朝鮮人の妻と結婚して兵士となっていたのである。
ただし、朴延も朝鮮半島での生活が27年に達して母国語をかなり忘れており、適切な通訳とは言えなかった。それでも、日が経つにつれて朴延が母国語を思い出し、ハメルたちは少しずつ自分たちの意見を済州府に伝えられるようになった。
その最中、朴延が語る身の上話はハメルを大いに失望させた。
「何度も日本に送ってほしいと頼んだが拒絶されたよ。相手はこう言うんだ……鳥ならば自由にどこでも飛んでいけるが、我々は異国の民を国外に出さないことにしているので、あきらめてここに暮らせ、と。君たちの運命も同じだろう」
案の定、悲嘆に暮れるハメルたちに、中央政府から処遇決定の通知はなかなかこなかった。その間に李元鎮の3年の任期が終わり、彼はソウルに戻っていった。
次の牧使となった人物は李元鎮ほどの見識がなく、ハメルたちの待遇は途端に悪くなった。空腹と惨めさに耐えきれず、脱走を企てて日本に向かおうとする者さえいたが、独力で島を抜け出すのは困難であった。異国の漂着者にとっては、島全体が巨大な幽囚地のように思えた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)