『二十五、二十一』で描かれた韓国のIMF危機とは何か(第3回)

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銀行員の大量失業を誘発する金融再編を強行できたのは、「朝鮮戦争以来の国難」という経済危機のもとで、国民が痛みを分かち合おうと団結できたからだ。「国家が破産寸前のときに、個人の損得を言っていられない」。そういうコンセンサスがあったから、金融監督委員会の強硬策もたいした横やりを受けずに実行することができた。

ペク・イジンは一家がIMF危機の影響で破産してアルバイト生活に明け暮れていた




財閥の改革

金融再編のスピードがきわめて速かったことは特筆ものだった。矢継ぎ早に政策が実行に移され、反対勢力の出る幕がなかった。ここにも、「速さは美徳である」という韓国社会の特徴がよく出ていた。
金大中(キム・デジュン)政権が金融改革と同時に断行したのが産業界の改革である。
とりわけ、採算性の見通しもなく拡大路線を突き進んだ財閥に対しては、非常に厳しい目が向けられた。
もちろん、韓国の奇跡的な経済成長の原動力となったのが、猛烈な営業戦略と積極的な投資で外貨を稼ぎまくった財閥系企業であることは国民の誰もがわかっていた。その点は十分に評価しながらも、政権と癒着しながら銀行から膨大な融資を引き出し、採算性を考えずに新事業に進出して赤字を垂れ流していたのが財閥系企業であることも事実だった。この経済危機に関しては、財閥系企業もA級戦犯であったのだ。
とにかく、韓国の財閥の多角化戦略は尋常ではない。企業の棲み分けを無視してどんな業種にも進出し、ただいたずらにグループの総売り上げを競うというのが、韓国の産業界の悪癖だった。




そこで金大中政権は、各財閥がグループ内で相互に債務を保証しあうような経営体質を改め、財務内容を改善して負債額を徹底的に圧縮するように働きかけた。いわば、採算性のない事業から撤退し、収益率を第一に事業を再編成せよということだ。
これは努力目標ではなく至上命令であった。
再建の見込みがない企業は再生中の銀行の足かせでIMF体制のお荷物と判断され、政府は1998年6月に強制的に整理すべき企業の実名を公表した。
その合計は55社。サムスン、現代、LG、大宇という韓国を代表する大手財閥のグループ企業ばかりであった。
その後も、大胆な産業改革政策が続いた。政府の意向を受けた銀行は取引企業の業績や財務内容の審査を強化し、再生が可能と判断すれば追加融資を行なう一方、見通しのない企業に対しては容赦なく整理対象の烙印を押した。
それまでは情実によって甘い審査に終始していた銀行が、自らの存続をかけて企業に厳しい目を向け始めた。これによって、韓国では初めてといっていいほど市場の原理が徹底されるようになったのである。




並行して政府は、財閥同士で事業を交換しあう「ビッグディール」も進めようとした。これは、財閥間で重複している事業について、お互いの利益になるように交換したらどうかというだ。
たとえば、自動車を例にとると、サムスンは自動車業界に進出したばかりだったが、その事業の権利を韓国第一の自動車メーカーである現代に譲渡し、効率よく一元化させようというものだった。
自動車のみならず、半導体、石油化学という基幹産業において、こうした事業交換が政府の指示のもとで積極的に推進された。
最終的にこの試みは成功せず、政府の勇み足という結果に終わったが、国がそこまで踏み込んで財閥改革に乗り出していることは、産業界に強烈なインパクトを与えた。なりふりかまわず構造改革を進めようという熱意は国民の誰にも十分に伝わった。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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