【朝鮮王朝の国王診断】英祖は悩みが多い国王だった

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

1720年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ王子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。この景宗には子供がいなかった。もし景宗が世を去れば、異母弟が自動的に王位を継承する。その景宗は即位して4年で世を去り、異母弟が英祖(ヨンジョ)として21代王となった。

『ヘチ 王座への道』でチョン・イルが英祖を演じた




深刻な反乱

英祖が即位したとき、「英祖が兄を毒殺したのではないか」という噂が出て、国中が大騒動に巻き込まれる。噂には根拠があった。
景宗が病床に臥せっているとき、主治医が「いけません」と反対したのに英祖は景宗にカニと柿と人参茶を差し出した。結局はそれらが病状を悪化させる原因になったと推定されている。
英祖は自分にとって都合の悪い噂を必死に打ち消すが、深刻な反乱が起きる。その反乱の告発書には「英祖は粛宗(スクチョン)の子供ではない」「英祖が景宗を毒殺した」と書いてあった。まさに衝撃的な内容だったのである。
何をもって英祖が粛宗の息子ではないというのだろうか。
実は、2人はまったく似ていなかったという。
朝鮮王朝時代に「顔相」という顔の相を見る専門家がいたが、その専門家が見ても英祖は少しも粛宗に似ていなかったそうだ。




それが疑惑の根拠になった。
反乱は鎮圧されて、英祖はその噂を完璧に打ち消すのだが、その過程でかなりの人が処罰された。
なお、英祖は、自分の母親である淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の身分が低かったことに大変コンプレックスを感じていた。
実際、英祖は父の粛宗の正室から生まれた子ではないし、自分の母親の出自に不明な点が多いことが悩みの種だった。
なおかつ、粛宗の子供ではないという告発で反乱まで起きている。英祖の悩みは深くなるばかりだった。
こうした英祖の人生をドラマ『ヘチ 王座への道』ではチョン・イルが繊細に演じて好評を博した。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

チョン・イルが『ヘチ』で扮した英祖(ヨンジョ)の苦悩とは?

「英祖(ヨンジョ)は粛宗の子供ではない」という告発がなぜ起こった?

英祖と思悼世子の親子関係の正体1「老論派と少論派の派閥闘争」

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る