【時代劇が面白い】なぜ燕山君は王になれたのか

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朝鮮王朝の27人の国王の中で、10代王の燕山君(ヨンサングン)は暴君として評判が最悪です。こういう国王がなぜ即位に至ったのか……それはまさに歴史の「落とし穴」と言えるでしょう。

写真=植村誠




私的感情に左右された「王位の継承」

燕山君(ヨンサングン)は、小さい頃から性格が粗暴で勉強嫌いの問題児でした。
一方、父親の9代王・成宗(ソンジョン)は、名君に列せられるほどの政治的業績がありました。
成宗は祖父の世祖(セジョ)が始めた法制度の体系化を完成させて、『経国大典』という王朝の憲法を作りました。
この成宗はもともと二男で、本来は王になれる立場ではありませんでした。
兄の月山大君(ウォルサンデグン)を差し置いて王になったので、常に兄に対して申し訳ないと思っており、このような経緯から“王は長男が継ぐのが正統”という考えも持っていました。
その成宗の長男が燕山君です。
しかし、燕山君の出来は悪く、王の資質に欠けていました。
それを成宗もわかっていましたが、長男であることを重視し、結局は燕山君を世子に指名します。




もしも成宗が王たる資質について冷静に考えていたら、燕山君を世子に指名しなかったはずです。その事実はつまり、朝鮮半島を統治する王位の継承ですら私的感情が左右していたということを表しています。
(ページ2に続く)

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