康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」青山島2/ドラマ『海神』の舞台

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莞島(ワンド)は朝鮮半島とは一衣帯水の海で隔てられた島なのだが、莞島大橋が1969年に完成してから、交通量は陸地と変わらなくなった。しかも、済州島へ行く大型フェリーの発着港となっているので、人も多く押し寄せる。

現在の莞島は魚介類が生活の大きな柱になっている




歴史に残る島

やはり、本土と島を結ぶ橋が完成したことによって、莞島は完全に様変わりした。それが、車の数の多さに現れていた。
莞島の面積は395平方キロメートル。日本の種子島より一回り小さい。ここにはかつて新羅(シルラ)時代に強大な軍事拠点があった。そのあたりの話はドラマ『海神(ヘシン)』で克明に描かれたが、物語の主人公になっていたのは張保皐(チャン・ボコ)だった。一体、どういう人物なのだろうか。
張保皐は、生年は不明だが、貧しい船頭の息子として莞島に生まれた。悲惨な生活の末に中国大陸の唐の軍隊にもぐりこんで出世を果たし、朝鮮半島に戻ってからは新羅王から海賊征伐を一任された。
そこで、828年、1万の兵を率いて故郷の莞島に陣を構え、海賊掃討作戦を成功させる。それだけでなく、莞島が重要な海上交易ルートに近かったことを活用して、日本や唐との貿易を独占するようになり、強大な富を手にした。こうなると、権力欲を抑えられない。新羅王の世継ぎ問題にも暗躍して影響力を誇示したが、846年に新羅王宮が放った刺客によって暗殺されて生涯を終える。




なんといっても、波瀾万丈の人生がドラマの題材として最適だった。『海神』でも張保皐は英傑として描かれ、その知名度の上昇にともなって莞島もますます有名になったのである。
その莞島の港から、いよいよ青山島(チョンサンド)に行く船に乗った。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」青山島1/莞島の魚市場

康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」青山島3/船内の人々

康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」青山島4/ラーメンを作る名人

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