光海君と仁祖のライバル物語5「失政」(歴史編)

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50万人近い捕虜

仁祖は、たまらずに都の南にあった山城に40日間籠城したが、その間に全土が清の軍勢に略奪された。
やむをえず、仁祖は漢江(ハンガン)の川辺の三田渡(サムジョンド)という場所で、清の皇帝の前で地面に頭をこすりつけるという大変屈辱的な謝罪をさせられた。ドラマ『華政』では、仁祖の額から血が流れていく場面だった。
それだけではない。仁祖は息子2人を捕虜として清に連れていかれた。さらに、庶民も50万人近くが捕虜になったと言われている。
光海君は、確かに身内を殺すという非道なことをしているが、それは光海君だけでなく、朝鮮王朝の歴史の中で、王家には何度もあったことだ。
それゆえ、光海君だけを責められない。むしろ、彼は外交と内政で貢献があった王であった。




その光海君をクーデターで追っ払った仁祖が、間違った政治で朝鮮王朝を苦境に陥らせた。
もしも、仁祖がクーデターを起こさなかったら、朝鮮王朝の歴史は劇的に変わっていただろう。少なくとも、あれほど清に従属させられることはなかった(終わり)。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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