光海君と仁祖のライバル物語1「即位」(歴史編)

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わずか2歳では王になれない

朝鮮出兵が終わったあと、光海君がびっくりするようなことになる。
最初の正室が亡くなったことで、宣祖は仁穆(インモク)王后を二番目の正室として迎えた。最初の正室に子供がいなかったのに、1603年に仁穆王后は王女の貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)を産んだ。
貞明公主は、時代劇『華政(ファジョン)』の主人公だった女性だ。正室から生まれた王女を「公主」と言い、側室から生まれると「翁主(オンジュ)」と言う。それゆえ、名前を見ただけで、正室と側室のどちらが産んだかがわかる。
このときは、まだ光海君も安心していたが、1606年に王子の永昌大君(ヨンチャンデグン)が生まれた。王子の場合は、正室から生まれると「大君」になり、側室から生まれると「君」だけとなる。
永昌大君が生まれたことを喜んだ宣祖は、できるだけ早く世子を光海君から永昌大君にしたいと思っていた。しかし、宣祖は1608年に世を去ってしまう。その死因は毒殺と言われている。




時代劇『華政』では、光海君の側近が毒殺したようなことを描いていたが、とにかく宣祖は急に亡くなってしまう。そのとき永昌大君はわずか2歳だった。さすがに2歳では王になれないので、世子だった光海君が15代王となった
(第2回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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