朝鮮王朝三大悪女で一番悪女でないのが張禧嬪(チャン・ヒビン)!(再読版)

このエントリーをはてなブックマークに追加

寵愛を失った結果は?

あまりに人気があったので、粛宗も「謝氏南征記」を読んだようだ。彼は、怒るよりむしろ仁顕王后を哀れに思う気持ちが強くなった。
それは、張禧嬪からはっきり心が離れたことを意味していた。一時はあれほど惚れ込んでいた女性だったのだが、粛宗は優柔不断な性格で、時間とともに張禧嬪を王妃にしたことを後悔し始めた。
そんなとき、粛宗の目にとまったのが淑嬪(スクビン)・崔(チェ)氏だった。時代劇『トンイ』の主人公になった女性である。張禧嬪のもとを訪ねる回数がめっきり減った粛宗は、その代わりに、淑嬪・崔氏のもとに足しげく通うようになった。
張禧嬪は王の寵愛を受けて王妃にまでなったのだが、その寵愛を失えば結果は見えていた。1694年に政変が起きて、張禧嬪の後ろ楯となっていた南人派が力を失うと、張禧嬪の立場はとたんに弱くなった。ひんぱんに心変わりする粛宗は、今度は張禧嬪の側室への降格と仁顕王后の復位を決めた。




同じ年に淑嬪・崔氏が粛宗の二男を産んだ。その王子が後の21代王の英祖(ヨンジョ)である。
せっかく王妃に復位した仁顕王后は、病弱であったことがわざわいして1701年に34歳で世を去った。その後に、淑嬪・崔氏の証言によって、張禧嬪が仁顕王后の死を願って呪詛(じゅそ)をしていたことが暴露された。
粛宗の怒りは尋常ではなかった。
「大罪である。死罪にせよ」
この王命には高官たちが反対した。すでに張禧嬪が産んだ王子が世子に決まっていたからだ。
(ページ3に続く)

「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠

張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!『トンイ』と史実はこんなに違う

張禧嬪(チャン・ヒビン)の人生がよくわかるエピソード集!

朝鮮王朝の有名な悪女の最後はどれほど悲惨だったか

固定ページ:
1

2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る