42人の王妃の中で一番の悪女だった2人とは誰か

このエントリーをはてなブックマークに追加

不幸の元凶

文定王后は、我が子を王位に就かせるため、中宗の先妻の息子だった12代王・仁宗(インジョン)の暗殺を何度も狙った。
実際、仁宗は不可解な急死を遂げているが、文定王后が自らの手で毒殺した疑いがきわめて高い。
その末に、我が子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位すると、文定王后は権力を独占し、賄賂を横行させた。
庶民の怒りは凄まじかったが、文定王后は力で抑圧した。
文定王后が政治を仕切った16世紀中盤には干ばつがあまりに多かった。
餓死者が続出したのだが、文定王后は悪政を続けて見殺しにした。




その一方で、自分の一族で富を独占した。文定王后によって、朝鮮王朝はどれほど不幸に陥ったことか。
その責任は本当に大きい。

構成=「ロコレ」編集部

トンイの本当の「裏の顔」を暴いてみると?

張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!『トンイ』と史実はこんなに違う

トンイ(淑嬪・崔氏〔スクピン・チェシ〕)の裏に黒幕がいた/朝鮮王朝秘話3

張禧嬪(チャン・ヒビン)を自害させたトンイの告発/朝鮮王朝秘話4

張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ王妃になれたのか/朝鮮王朝秘話1

文定王后(ムンジョンワンフ)とはどんな悪女だったのか

固定ページ:
1

2

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る