鬼のような文定(ムンジョン)王后/朝鮮王朝人物実録6

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文定王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

親孝行な息子

世子は、継母の仕業(しわざ)であることを見抜いていた。そのうえで、世子はこう決心した。
「母が私を殺そうとするのであれば、潔く死んでさしあげよう。子としても、親の願いを叶えるのが本当の孝行なのだから」
妻は信じられない思いだった。「こんな人間がいるのか」とただ驚くばかり。しかし、妻も自分だけ逃げるわけにはいかないので、一緒に寝殿に座したままだった。




あやうく夫婦は焼け死ぬところだったが、救助の人間に促されて寝殿が焼け落ちる前に助け出された。
この一事で世子という人間がよくわかる。朝鮮王朝時代を通じて、これほど“孝”に徹した息子は他にいないかもしれない。
中宗が1544年に世を去り、世子が12代王・仁宗(インジョン)として即位した。彼は29歳になっていたが、子供がいなかった。5歳で世子になったのに、なぜ彼は子供をつくらなかったのか。
それは、自分の次に慶源大君を王位に就けるためだった。それが、継母である文定王后に報いる道だと仁宗は本気で考えていたのである。
これほどの孝行息子なのに、文定王后は仁宗に冷たく接した。そのせいで、仁宗の心労が大きくなった。
(ページ3に続く)

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