密使派遣事件
――日本は清に続いてロシアも朝鮮半島から追い出したわけですね。
康熙奉「2つに戦争に勝利した日本は、もはや自在に朝鮮半島で支配体制を強化することができました。1905年11月には第2次日韓協約が調印され、日本は統監府を設置しました。名ばかりの大韓帝国は外交権を奪われたのです」
――もはや、国の存亡も風前の灯ですね。
康熙奉「あせった高宗は1907年6月にオランダのハーグで開催された万国平和会議に、日本の介入に対する不当性を訴える密使を送りました」
――結果はどうなりましたか。
康熙奉「すでに大韓帝国は外交権を奪われて万国平和会議に出席する権利もなく、密使派遣は失敗に終わります。高宗は日本の圧力によって7月19日に退位させられました。代わって27代王に就いたのは、高宗の息子の純宗(スンジョン)でした」(ページ3に続く)