朝鮮半島での権益をめぐって日清戦争が起こりましたが、日本は勝利して清の影響力を朝鮮半島から排除しました。1897年には大韓帝国が誕生。その後は、どのような展開になったのでしょうか。一問一答形式で康熙奉(カン・ヒボン)が語るシリーズの第3回目です。
日露戦争
――新しく出発した大韓帝国はどうなりましたか。
康熙奉「1898年には高宗の父の興宣(フンソン)大院君が世を去りました。20世紀に入ると、日本とロシアの対立が非常に激しくなり、1904年2月に日露戦争が始まりました」
――そのときの大韓帝国の立場は?
康熙奉「大韓帝国はいちはやく中立を宣言したのですが、日本はその意向を無視し、軍事力を背景に朝鮮半島の全土を支配下に置きました。さらに、日本は1904年8月に第1次日韓協約を強要しました。大韓帝国は外交に関して日本と事前に協議することを求められたのです」
――「帝国」は名ばかりだったわけですか。
康熙奉「外交も独自にできないのであれば、国としての自主性がなくなってしまいますが、大韓帝国が第1次日韓協約を拒むことは不可能でした。さらに、日本は日露戦争を有利に進めていき、1905年9月に日露講和条約が調印されました。日本は事実上の勝利を得たのです」(ページ2に続く)